あとがきとかメモとか諸々。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
猫:シラバブとミストフェリーズ。
*****
真夜中、小さな仔猫は突然目を覚ました。
普段、眠りの深い仔猫はあまり夜中に目を覚ますことはないから、それはとても珍しいことだった。
二度、三度とまばたきをして、寝返りをうつ。すると、すぐ隣にはいつものように眠る兄猫の姿があった。
仔猫は兄猫の隣でまるくなって、もう一度眠りの淵へと落ちていこうと――することはなく。
何を思ったのか、こっそりと毛布を抜け出した。
眠い目をこすりながら、窓ガラスをそっと開けて、庭におりたつ。
やけに明るい。
そんな気がした。
人間はおろか、あらゆる動物も、草木も――街そのものが眠りについている時間。
静まり返った街を、天上高く昇った青白い月の光がやさしくつつみこんでいる。
見慣れた庭も、教会も、すぐそこの通りも、すべて月の光に照らされて青く染まっている。
一面の青。
ただ、ただ、青い世界。
みるものすべてが珍しくて、仔猫はなんだか嬉しいような楽しいような――わくわくするような気持ちを抱えながら、芝生をそっと踏みしめた。
いつもと同じはずの庭を、いつもと同じように歩きながら、仔猫はまったく別の、はじめての場所を歩いているような気分になった。
門のところにある大きな木も、庭の片隅にあるブランコも、何も変わったところはないのに。
――へんなの。
とはいえ、それは決して恐いとか、不安だとかそういうものではなく。
はじめてなのにどこかなつかしいような、ふしぎな気分だった。
――ゴミ捨て場にいこう。
それは突然ひらめいた考えだった。
ゴミ捨て場に行ったところで何があるわけでもないし、誰に会えるわけでもない。
この青い世界をもっとよく感じたいのならば他にも適した場所はたくさんあるだろう。
でも、今ゴミ捨て場に行くことはとても自然で、そしてあたりまえのことのように思えた。
これ以上のことはないというくらい、良い考えのように。
普段の仔猫ならば、こんなことは考えない。
考えたとしても、しない。
兄猫のいいつけを守っておとなしくしている。
けれども、今日はとくべつだ。
仔猫は一度、今来たところをふりかえると、静かに門の外へと踏み出した。
ゴミ捨て場へと続く道も、また普段とは違ったもののようだった。
猫一匹、人間一人通らない。
静かな街。
月の光を反射して、街そのものが、淡く、青く光を放っている。
もし、仔猫がもう少し大人だったら、街灯がすべて消えているのに、何故こんなに明るいのかを疑問に思っただろう。
通い慣れた道を通って、ゴミ捨て場へと出る。
最後の角を曲がると、不思議な音楽がきこえてきた。
“ジェリクルキャッツ出て来る”
“ジェリクルキャッツ集まる”
“ジェリクルムーン輝く”
“年に一度のお祭り”
“ジェリクルキャッツ出会うぞ”
“ジェリクル今夜舞踏会”
高くもなく、低くもない声で、音楽に合わせて歌う声。
声の主はゴミ捨て場の中央にいた。
歌いながら、羽のように宙を舞う。
とても楽しそうに。
何の変哲もないすり鉢状のゴミ捨て場は、彼が踊るとまるで舞台に――大昔の円形劇場のようになった。
月の光がスポットライトのように、小柄な黒猫の姿を照らす。
黒猫が舞った後にはきらきらと煌めく星のような輝きがあった。
「……ミスト?」
その声に反応し、黒猫はこちらを向く(もっとも、その表情は仔猫がそこにいることを最初から知っていたようなものだったが)。
「バブ」
ミストフェリーズは苦笑し、シラバブを手招きした。
「抜け出してきたの?」
「うん。目さめちゃったの」
「しょうがないなぁ」
と、ミストフェリーズは笑う。
「ね、ミスト。なにしてたの?あれはなに?魔法?あの歌は?」
「まって。質問はひとつずつ。ゆっくりと。それと、夜だから静かにね」
ミストフェリーズはそういうと、「しー」と、人差し指をシラバブの口元にあてた。
「知りたい?」
「うん!」
シラバブは満面の笑みで頷く。
この笑顔に勝てるものはそういないだろう。
マンカストラップが兄馬鹿(というか親馬鹿というか)全開になる気持ちもわからなくはない。
この子の将来が楽しみだ。
「じゃあ、特別、だよ」
本当はあまり他人にみせるようなものではないのだが、仕方ない。
いくらミストフェリーズが天才魔術師とはいえ、何事にも努力と練習は必要だ。
特別な日、特別なことのためなら、尚更。
「3、2、1……!」
ミストフェリーズが手にしたステッキを振ると、そこから光が弾け飛んだ。
七色に輝く光は夜空に散って、きらきらと星のように瞬く。
ミストフェリーズが少し手首を捻って傾げると、光はゴミ捨て場中を包み込んだ。
あたり一面が光の渦に巻き込まれ、波にさらされたようになる。
光の海にいるみたいに。
「……ミスト、ミスト!」
きれい!すごい!すごい!
と、シラバブははしゃぎ、手をたたいてよろこんだ。
「ミストはすごいね!」
「お誉めにあずかり大変光栄」
「すごい!」
と、もう一度シラバブは言った。
まだまだ語彙の足りないシラバブは「すごい」を連呼するくらいしかできないのだろうけれど。
その様子をみれば、どれだけこの子がよろこんで、たのしんでいるのかということは充分によくわかる。
走り回って光に手をかざし、または天上からふってくる星屑のような光を掴もうと、懸命に手をのばしている。
バブ。
と、ミストフェリーズはシラバブを呼んだ。
「踊ろっか?」
「いいの?」
シラバブは微かに教会の方角を振り返る。
何かの拍子に目を覚ましたマンカストラップが、半狂乱になってシラバブを探し回っていないか心配しているのだろう。
「いいよ。いったでしょ?今日は、特別」
舞踏会のはじまる前。
満月に一日だけ足りない月。
「だから、いいんだよ」
「明日も?」
「明日はもっと特別」
何もかもが満たされ、赦されて、そして救われる――そんな夜。
誰もがやさしくなれる夜。
前夜祭があったって悪くない。
朝になれば、この子はすべて忘れてしまうだろうけれど。
「――さ、お姫様?」
「うん!」
とこたえて、黒猫が差し出した手を、仔猫はとる。
月明かりの中、踊る二つの小さな影がいつまでも揺れていた。
横浜猫開幕記念。
PR
この記事にコメントする