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01:記憶にない場所
BB:ベル



 *****


 『そこには薔薇の花が溢れていた。』

 “黒い森の中を彼女は歩いていた。
 真昼の筈なのに森の中は薄暗かった。
 少しでも日の光を獲ようと、樹々は空高く伸び、枝が複雑に絡み合った結果、それが森全体を覆ってしまっている。そのため、森の中に日の光はあまり届かない。
 日の光は彼女の行く道の先を照らしてはくれなかった。
 辛うじて残る獣道を見失わないよう、彼女は目を凝らして歩いた。
 森の樹々は皆どれも違う表情でどれ一つとして同じものはないはずなのに、全て同じように見えた。自分がどこを歩いているのかわからなくなって大分経つ。
 村はもう随分後ろに消え、猟師の使う道も失せて久しい。
 もときた道を戻れといわれても、それは不可能だった。
 目印など存在しない。
 否、あったとしてもそれを頼りに戻ることはしないだろう。
 あそこには自分の居場所はない。
 村にいる間中ずっと感じていたのは違和感。
 村の人達と自分は何かが違った。
 何も変わるところはないはずなのに。同じだと考えれば考える程に違うと感じた。
 異質なもの中に入り込んで無理矢理それと同化しようとすることは困難で、少なからず苦痛を伴った。
 村の皆は何かがおかしい。
 ずっとそう思っていたが、どうやら、彼等の方も『彼女は何かがおかしい』と思っていたようだ。
 彼女一人の考えと村人全員の考えと、どちらが正しいのかはわからなかったが、優先されるべきは明白だった。
 村での生活が彼女に与えたのは閉塞感と圧迫感と――
 だから、あそこは自分の居場所ではない。
 村では彼女を排除しようと、密かに、大きな意思が動いているようだった。
 そんなところにわざわざずっといなければならない理由はない。
 村の皆にあったのだから、彼女にだって居場所があっていいはずだ。
 穏やかに、心安らかに過ごせるところが。
 あそこにないのならば探せばいい。
 そこまで思考し、彼女はふと立ち止まった。無意識に身体を固くする。
 どこかから獣の咆哮がした。あまり遠くでのことではない。
 もとから薄暗かったのでわかりにくいが、着々と日は傾いている。日が沈んだら――それはあまり考えたくはなかった。
 彼女はその歩みを早めた。
 今日中に森を抜けることは多分できないだろう。
 どこか野宿ができそうなところを探さなければ。と、細心の注意を配りながら、進む。
 程なくして、樹々の隙間に塔が見えてきた。
 彼女はそれを目指して歩く。
 近づいてくるにつれ、それは城だったのだとわかってくる。幾つもの塔をもつ城。城壁は朽ち、ところどころ剥がれている。屋根が落ち、崩れているところもあった。この分だと人が住んでいるということはなさそうだ。
 城門は固く閉じ、招かれざる客を拒んでいる。否、守っているのかもしれない。
 在りし日々を。
 この城のしあわせだった時間を。
 彼女は門扉に手をかけた。開かないようなら、他の入り口を探すか、違う場所を見つけるしかない。
 開かないだろうと思っていた扉は予想外にすっと開いた。
 彼女は恐る恐る中に足を踏み入れる。
 外から見たときと同様、やはり中も荒れ果てていた。
 不思議な所だった。
 人が住まなくなって大分経つのだろうか。人々の営みの痕跡は全て時がしまっていて、誰も生活しているようには見えない。それなのに、今にもその物陰から誰かが出てきそうな――誰かに見られているようなそんな気がしてならなかった。
 奇妙な感覚を抱えながら、彼女は進む。
 建物の鍵がかかっていなかったのは幸いだった。
 案の定、中には誰もいなかったが、外と異なり最低限の手入れがなされていることが気になった。
 本館に相当するところを一通り確認すると、彼女は塔へむかった。
 西の塔を何故真っ先に選んだのかはよくわからない。
 重く軋む扉を開けると、彼女は塔の中へ入った。入ってすぐのところにある螺旋階段を上る。階段には終わりが見えない。下から見上げると、どこまでも続いていそうだった。かなりの高さがある塔だと覚悟はしていたが、想像以上だった。
 息があがりそうになりながらも最上部にたどり着くと、そこには扉があった。木材に漆を塗り重ね華麗な装飾枠に嵌め込んだ扉だ。この塔には似つかわしくない。
 彼女がその扉を軽く押すと、扉は簡単に開いた。まるで、彼女を待っていたとでもいうように。彼女を部屋へと迎えいれる。
 瞬間、彼女は眉をひそめた。
 彼女を襲ったのは軽い酩酊感にも似た感覚。そして、むせかえるような薔薇の香り。
 天井から幾重にも垂れ下がった幕が邪魔をして部屋の奥はよく見えない。それらを払いながら彼女は部屋の奥へ――薔薇の根源へとむかった。
 近づけば近付くほどに薔薇の香りは強くなり、その匂いに酔ってしまいそうだ。
 最後の幕を払い、彼女はその向こう側を覗いた。
 そこには――”


 ふとベルは目を覚ました。
 窓から入り込んだ風がカーテンを揺らしていく。
 机に伏せた身体の下には読みかけの本が開いたままおいてあった。どうやら、本を読みながら眠ってしまっていたらしい。
 夢を――見ていたと思う。
 とても懐かしい夢を。
 覚えもないのに懐かしいというのも不思議な話だが、あれは懐かしいという以外にない感覚だ。
 本の中にそんな描写があったのかもしれない。
 彼女は沢山の――およそ、村で読むことのできる全ての本を読んでいた。その中にあの夢の場所と似たような場所の描写があっても不思議ではない。
 ――本。
 今読んでいる本ももう何度も読んだものだ。結末だって知っている。
 夢の中の彼女はどうなったのだろう。
 外の世界に行けたのだろうか。探しているものは見つかったのだろうか。
 それはベルには絶対に知り得ないことだ。
 ――本を、返さないと。
 本の世界は、それでおしまい。
 ハッピーエンドを迎えたら、そこから先に広がらない。
楽しい時間を与えてはくれるけれど、終わりに待っているのはただの現実。
 彼女は外へと出たけれど、ベルが向かうのは村の中。
 村の外へと出るにはベルには抱えているものがありすぎる。
 「パパ!」
 ベルは窓の外へと声をかけた。
 「ちょっと出掛けてくるわね」
 「どこへ行くんだい?」
 「村へ。本を返してくるの」
 本を手に取り、ベルは家を出る。
 扉を開けると、ふわりと薔薇の香りがした。









END




ローズダストガーデン
01:記憶にない場所

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