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あとがきとかメモとか諸々。
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夢醒



 *****

 物語が終わって――

 その扉に彼はそっと手を掛けた。
 それは無機質で簡素な、飾り気のない扉だ。扉は扉以上のものではなく、何の面白味もない。だが、その向こう側に広がる世界は此処とは全く別のものであると、彼は知っていた。
 彼は静かに扉を開く。外界を遮断し、音が漏れないようにすべく厚みを持たせた扉は重い。その重みはそのまま向こう側にいることの重みだった。
 彼が開いた扉の隙間から、うっすらと中へ光が差し込む。その中は案の定暗かった。密室で照明を落としているのだから当然といえば当然だ。光はその暗がりの中にすっと一筋の道を作った。
 そこへ踏み入ろうとして、彼は躊躇った。その中に自分が加わっても良いものかどうか、彼にはわからなかった。
 こちらとあちらの境界はひどく曖昧なようでいて、その実、明確だ。扉は丁度その境に位置している。一歩でもそこを過ぎれば、忽ち向こう側へと組み込まれる。
 この向こうは何者も侵してはならないところだ。それは彼とて例外ではない。向こうにいてもいいのか。そこにいられる資格があるのか。扉を前にする度に何度も問い続けたがその答えは未だに出ていない。出ることもないだろう。
 逡巡の末、彼は踏み出した。結局、そうすることを、そうしなければならないことはわかっている。
 音もなく、真っ直ぐに足を進める。その足取りには迷いはない。何処へ向かえばいいのか――向かうべきところを彼は知っていた。
 今し方彼が開いた扉から薄明かりが差し込む。彼の進む方向にうっすらと照らし出されたのはおびただしい数の席、席、席――それが明かりの届かなくなるずっと奥まで並び、その場を埋め尽くしている。それは正面だけではなく右にも左にも、たった今彼が歩いてきた後方にさえも広がり、四方向から彼を取り囲んでいた。階上すらも例外ではない。物言わぬ座席達はこぞって彼のことを見下ろしている。
威圧感や虚しさよりも先に出てくるものは寂しさだ。
 がらんとした空間は寂しい。
 そう感じるのはその席に座るべき人間がいないからだろう。
 彼は段差を一つ降りた。
 「遅かったのね」
 ふいに声が響いた。
 まだ幼い、少女の声だ。甲高い音がその空間を震わせる。
 唐突に彼女は彼のいる通路へと現れた。ゆっくりと彼の目の前まで進み出る。手を伸ばせば届くほどのところに。けれどもその表情は暗がりに隠れてしまってみることができない。
 「あたし、ずっと待ってたのよ」
 「少し片付けることがあってね」
 彼が非礼を詫びると、彼女は「やだ、改まっちゃって!」と笑った。
 「――来ると思ってた」
 「君も」
 「ほんとう?」
 「ああ」
 此処に彼女がいるであろうことを。
 此処に来れば彼女に会えるだろうことを、彼は知っていた。
 そして、これが彼女との別れになるということも。
 「ねえ、聴いてくれる?」
 「勿論」
 彼女は話し始めた。
 それは、初めて逢ったときのことであり、これから出逢うときのことであり、これから起こり得ることについてでもあり、懐かしい思い出でもあった。彼女はその中で成長し、素敵な女性になり、そしてまたあるべき姿に戻っていく。
 彼はそれを静かに聴いていた。時折、彼女に応えるかのようにぽつりぽつりと言葉を落とす。その表情はとても穏やかでやさしい。
 「――訊かないの?」
 「何を?」
 「あたしがなんで此処にいるか」
 物語が終わって――
 彼は自分の為すべきことを知っていた。それは彼の義務であり、業だ。彼がそうすることによって彼女がどうなるのか、考えるまでもない。
 「――君を送ることが私の役目だ」
 それでも、全うして欲しいと。自らの務めを果たして欲しいと願うのはただの私欲なのだろう。
 彼女の――彼女達の存在に意味を持たせてあげられたならばと考えることは傲慢にすぎない。
 「君が話したいことを話せばいい。君はよくつきあってくれた――今度は私の番だ」
 けれども、しあわせであって欲しいと。
 此処で過ごした時間は特別なものであって欲しい。
 そう思う。切に。
 「君の好きなだけ此処にいていいんだ。私は喜んでつきあうよ」
 此処を出て、全てを忘れてしまっても。夢見た気持ちだけは忘れないで――
 「『ずっと』っていったらどうするのよ」
 彼女は呆れたように笑った。
 「あんまり、格好良いこというもんじゃないわよ。後々後悔するんだから」
 「――」
 「でもね、ちょっとうれしかった。ありがとう」
 あのね。と、彼女は続ける。一つだけ言いたいことがあったと。
 「此処にいられて、すごく楽しかった」
 恨みはしないだろうか。
 と、彼は訊いた。
 決して、終わらせるために始めたわけではない。けれども、最終的に終わらせるならばそれと同義だ。
 「私が呼ばなければ、君はそうはならなかった」
 「まあ、そうなんだけど。でも、そうしたら、あたしは此処にくることもなかったわけだし」
 考えすぎは悪い癖だわ。と、彼女は再び笑う。
 「ありがとう。あたしを呼んでくれて。呼んでもらえて、此処にいられて――あたしはしあわせだったよ」
 彼女は彼との距離を詰める。
 「ねえ、またきてもいい?」
 それは叶わないことだと、彼は知っていた。
 此処を出れば、次に此処を訪れる彼女は今の彼女ではなくなるから。
 彼がどう答えようかと迷っていると、彼女はそれを見越したかのように口を開き、彼の手を取る。
 「『苦しいとき、哀しいときはここへいらっしゃい。さみしい、嬉しいときも是非』――でしょ?」
 ああ、やはり彼女にはかなわない。
 「いつでも」
 と、彼は微笑った。
 「それがききたかったの」
 彼女はゆっくりと彼の手を離す。そして、彼の横をすり抜けて、扉へと歩き始めた。
 「!」
 名前を。
 呼び止めようとして、何と呼べばいいのかわからなかった。
 振り向けば彼女もこちらをみていた。しかし、その表情は逆光になってしまってわからない。
 待っているのだ。
 反射的にそう思った。
 彼が彼女を呼ぶのを。

 「  」

 その声に、彼女が満足そうに微笑んだようにみえたのは彼の気のせいだったのか。
 「またね」
 と残して、彼女は消えた。
 彼が開いた扉から射し込む光は彼女のいたところを照らし続ける。
 「……また」
 と、彼は呟いた。










END





また電波なものを書いてしまった……。

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